1985-08-28 第102回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第9号
事故機はさらに北西に向かい、駿河湾上空を横断して焼津付近上空に至りまして進路を北にとり、不安定な飛行を続けながら富士山の西側上空を通過し、北東に向かいました。大月付近上空では高度を下げつつ北上し、羽田のレーダーの画面から機影が消失したわけでございます。
事故機はさらに北西に向かい、駿河湾上空を横断して焼津付近上空に至りまして進路を北にとり、不安定な飛行を続けながら富士山の西側上空を通過し、北東に向かいました。大月付近上空では高度を下げつつ北上し、羽田のレーダーの画面から機影が消失したわけでございます。
事故機はさらに北西に向かいまして、駿河湾上空を横断して焼津付近上空において進路を北にとり、不安定な飛行を続けながら富士山の西側の上空を通過し、北東に向かいました。大月付近上空では高度を下げつつ北上し、十八時五十七分、東京国際空港から磁方位三百八度五十九海里の地点で羽田レーダーの画面から機影が消失いたしました。
同機はさらに北西に向かい、駿河湾上空を横断して焼津付近上空で針路を北にとり、不安定な飛行を続けながら富士山の西側の上空を通過し北東に向かいました。大月付近上空では高度を下げながら北上し、十八時五十七分、東京国際空港から磁方位で三百八度、五十九海里の地点で羽田レーダーの画面から機影が消失したわけでございます。